不安解放② 未完了の感情⇒反射⇒「アタマ・ココロ・カラダ」、エネルギーで解消

なぜ、自分の価値を過剰に否定してしまうのか?

それは、、、幼少期の、ネガティブな出来事を通じて感じた、「未完了の感情」に起因します。

「未完了の感情」は、たいてい、15歳ごろまでの間の出来事を原体験を基本として形成されますが、トラウマ体験を含めると、大人になってからも起こり得えます。

「未完了の感情」とは、読んで字のごとく、その人の中で完了していない感情のこと。特に、怒り・悲しみ・怖いなどネガティブな感情を認めないままだと、未完了の感情が形成されやすくなります。

感情を未完了のままにしておくと、その後の人生で、同様のネガティブな出来事に遭遇するたびに、そのときと同じ「思考・感情・行動(対応)」が、反射的に繰り返し生じます。

そういったことが、パターン化されてまうと、やがて、先ほどのような「どうせ、自分はダメな人間だから」という自己否定を強化し、より潜在意識に刷り込んでしまいます。

さらに、その自分の内で作った「思い込み」によって、外の世界を眺めるようになり、なおさら生きづらくなるという悪循環に陥りやすくなるのです。

感情は、英語で”emotion=ex(外へ)+motion(動かす)”と表されるように、本来、外に「エネルギー」として出すものです。

過去に、内側で溜め込んでしまった感情エネルギーは、肉体的には、いずれ内臓・血流・呼吸といった機能に悪影響を及ぼすようになります。

生きづらさを感じているあなたへ

遅ればせながら、はじめまして、私は、漢方鍼灸師の川上哲寛と言います。

 

改めて、私の自己紹介を致します。

実は、上記の「生きづらさ」の項目は、かつての私自身に当てはまるものばかりです。

 

これから、私の経験を基にした、「生きづらさ」の解消法について、シェアします。

もし、今、あなたが、何かしらの「生きづらさ」を感じていたら、これからお話しすることは、何かのお役に立てるかもしれません。

感情をフタをしてきた幼少期~10代

まず、私自身の生い立ちからお話しします。

私は、東京で生まれ、2歳のときに、両親が離婚しました。

2歳上の姉は母方に、私は歯科医の父方に預けられることになりました。

ところが、その父は育てる甲斐性がなかったので、当時、北海道に住んでいた祖母が上京して、祖母に育てられることになりました。

 

自分自身、もの心ついたころには、既におばあちゃん子だったので、それを当たり前に受け入れて生活してきました。

住まいは、1DKのアパートであったものの、生活レベルで不自由することなく、おばあちゃんに大事に育てられました。また、お友だちにも恵まれて、特に不幸を感じることなく、ごくごく普通の少年期を過ごせていました。

 

ところが、10歳を過ぎたころから、自分の感情に偽って生活するようになっていきました。

たとえば、小学校では、授業参観、家族についての作文、運動会のとき、またTVドラマの家族団らんのシーンなどを見たりして、心がザワザワしても、感じないようにしたり…

 

また、中学2年生のときのことです。今から考えると、思春期でイキがっていました。廊下で隣のクラスの生徒と、ちょっとしたことから、ケンカになりました。

そこで、当時、プロレスで流行っていたアキレス腱固めで、その相手の足を押さえ、優位な状況に立っていました。

数十秒、膠着状態が続いているうちに、次第に、他の生徒が野次馬で集まってきたので、急に我にかえって、「このあと面倒になるのが嫌だな」と思いました。

それで、一旦、押さえていた足を離し、ケンカを終えて、教室に戻ろうとしました。

 

すると、私が教室に入ろうとした瞬間、そのケンカ相手から、振り向きざまに、不意に顔面を殴られ、鼻血を流してしまったのです。その鼻血が出たことで、ケンカに負けたような形になってしまいました。

鼻血を流しながら、教室に戻っていく姿を、周りからマジマジ見られる視線を感じ、しばらくの期間、惨めな気分が続きました。

それ以降、自意識過剰で、やたらと人目を気にし過ぎるようになり、それとセットで、次第に「自分は、ダメな奴だ」という劣等感を抱き、自己卑下しがちな性格になっていきました。

 

それから、私が中3のとき、祖母が持病の喘息で入退院を繰り返すようになり、一人暮らしをせざろうえなくなりました。

そのことを他人に話す機会があっても、幸いお金に不自由しない生活を送れていたので、「全然、困っていないから」として、いつも平気な「フリ」をしていきました。

 

こうして、劣等感を押し隠す一方で、極力、普通でいようと努める10代を過ごしてきました。そのため、次第に、本当の感情を表に出さないようにしていくうちに、段々と顔も無表情になっていきました。

そうした影響が、次第に「生きづらさ」として、日常で表面化し始めたのが、20代半ばの鍼灸の専門学校時代です。

喘息発作に苦しみ続けてきた、20代半ばからの30代

まず、はっきりと「生きづらさ」として実感できるようになったのは、体調不良がきっかけです。

特に、20代半ばあたりから、中学校で一旦落ち着いたはずの小児喘息が、再び現れるようになりました。

それ以降、喘息は、私にとって、まさに「息づらさ=生きづらさ」の象徴するものでした。

 

鍼灸師として20年間、活動している今となっては、喘息の原因は、ハッキリしています。

一つは、鍼灸学校で、人間関係がうまくいかなかったストレスが、大きく関係しています。

当時、学生だったこともあり、自分自身の喘息について理解できていませんでした。

しかし、卒業後、実際に、鍼灸師として活動し、喘息の仕組みを理解できるようになってさえも、喘息発作が一向におさまることがありませんでした。

 

大人になってからの喘息は、小児喘息のときより、発作の程度が、より一層きつくなりました。たとえるなら、100m走を全力で20本走った後のような息苦しさが一晩中、続くような状態でした。

そのうえ、頼みの綱だった、気管支拡張剤の吸入器が、ほとんど効かなくなくなり、仰向けで寝てられません。歩こうとしても、2,3歩で立ち止まり、一度手を膝について休む。そこから、また歩こうとするも、

 

ゼーゼー、ヒューヒュー、

 

といった喘鳴が伴う呼吸困難で、ほぼ為す術がないまま、発作の度、夜が明けるのを待つ、そんな喘息が頻繁に起きていました。

 

それでも、発作が出た日に、師匠の鍼を受けることで、なんとかしのげていました。

しかし、次第に、師匠の鍼治療を受けたあとでも、発作がおさまらないことが、度々ありました。そうなると、まさに万事休す、ほぼ絶望状態でした。

 

ところが、「人間万事塞翁が馬」とは、よく言ったものです。

この頃からか、私自身の「何か」を根本的に変えない限り、どれほど効果的な治療を受けたとしても、喘息は良くならない、そればかりか人生そのものも良くならないと、思うように至りました。

それを機に、約15年に及ぶ喘息で苦しむ人生が転換していきました。

 

では、その「何か」とは何でしょうか?

そこで、喘息を通じて、やっと、それまでの自分の人生を見直すことにしました。

症状の原因として、ストレスが一定絡んでいることは間違いありません。

 

しかし、ストレスがあるからといって、いつも発作が出るわけでもありません。

生きづらさやストレスを生み出す「何か」、それを探求していく生活が、鍼灸師11年目の2011年から始まりました。

現状認識が転換の始まり

その「何か」を探し出す最初のステップとして始めたのが、「意識改革」。いわゆる、潜在意識へのアプローチです。

意識改革といっても、何も特別で難しいことではありません。

まずは、現状を正しく認識すること、それには、自分にとっての盲点、すなわち、無自覚になっているクセと観念を自覚していくことです。

 

クセは、日常、繰り返される「思考・感情・行動(対応)」のパターンです。

そして、クセに根っこにあるのが観念。観念とは、簡単に言えば、あるものごとに対する、考え方や感じ方のことです。

 

そうした取り組みを通じて、少しずつ、心のクセや観念に気づき出しました。たとえば…

◆ちょっとの失敗で、「やっぱ、自分はダメな人間だから」と自分を卑下する独り言をしてしまう

◆ものごとを何でも悪いように受け止めてしまい、先々の不安を予想しがちになる

◆自分を過剰に守ろうとする態度で、人と接する

 

他にも挙げればキリがない、これらのクセは、先に述べた、私自身の人生で無意識で積み上げてしまった「生きづらさ」の現れです。そのクセをパターン化させて、半ば、自動応答的に、繰り返していました。

そこで、一つ一つクセに気づいたら、間髪入れず「それは、ホントにそうか?」と、ツッコミを入れるようにしました。

そうやって自己観察しながら、クセの大半は、頭の中で繰り広げられる妄想の先走りによって生じたものだと理解できました。言ってみれば、自作自演の「独り相撲」です。

 

これらの無意識的なクセを、一旦、顕在化させ、事実確認をしていくことで、劣等感から展開するネガティブ思考も、以前より、歯止めが効きやすくなりました。

さらに、そこから『心のホンネ』に耳を傾けるようにしていきました。

過去の自分は「何を望んでいたのか?」、そこで、幼少期に、フタをしてしまった「悲しさ」「寂しさ」を感じ切るようにしました。

 

「あ~、ホントは寂しかったんだな~」

「中学のとき、誰かに悩みを聞いてほしかったんだ…」


と、このように感情を味わっていくことで、それまで我慢してきた感情が、約30年分の涙として、ボトボトと流れていきました。

これほどまでに、胸の内にエネルギーを溜め込んでしまったために、自分はあんなに喘息で苦しんだんだと、ようやく自覚できるようになりました。

 

こういった取り組みの積み重ねで、日常、心がザワザワしても、それをただ認めてあげることで、平静さを取り戻しやすくなりました。

それからは、師匠の鍼治療を受けつつ、40歳を過ぎ、喘息が改善するようになったのです。

このように、ネガティブな『心のクセ』を認識し、『心のホンネ』を聴いていく一方で、それまでの自分の人生のポジティブな側面を認めてるようにしていきました。

たとえば…

◆祖母が15歳で体調を崩して一人暮らしを始めてから、食べ物の好き嫌いが無くなったし、高校・大学受験と、よく頑張ってきたな

◆中2でケンカで負けなかったら、もしかしたら不良の道に進んでいたかも、あのとき負けて良かったんだ…

◆確かに喘息は苦しかったけど、そのおかげで、喘息の研究はかなり深められたよな。何より病気で苦しんでいる人の気持ちを理解できるきっかけになったじゃないか!

 

こうして、ネガティブな裏に隠れているポジティブの側面を、自分で認めていくことで、自分の存在価値を素直に認められるようになりました。

私にしかできない鍼を通じての貢献 ~禍福転換~

現在も引き続き、意識改革の探求をしながら、『本心』に従って生きていくことに取り組んでいる最中です。

まだ気づけていない、あるいは解消されていないクセはあります。それでも、以前と比べれば、かなり生きやすく、そして息がしやすくなりました。

 

この経験を、鍼灸師として、また一人の人間としてどう活かせるかが、今後の私自身の人生のテーマです。

特に、コロナによる社会不安がまん延している情勢を踏まえると、私が数々の苦しみを乗り越えてきた経験は、ネガティブ感情で苦しまれている方のお役に立つと信じています。

 

『禍福一如』という言葉があるように、災いも幸せも、表裏一体、あらゆる出来事には、ポジティブ・ネガティブの両面がセットで揃っています。

だから、現在のような、ネガティブな状況にしか目がいきがちな状況にこそ、『禍福転換』の視点が必要になってくるのです。

 

そこで、私自身が鍼灸師として人生で成し遂げたいことが、たった1つあります。それは、

1本の鍼を通じて、その人らしい人生が送れるお手伝い

です。これは、病気治しに必要な要素でありながら、単に病気治しだけにとどまりません。そのために、

 

◆病気や不安などを通じて、患者さんがご自身の『本心』を発見する

◆現状と理想の間にある課題を、適切に認識する

◆患者さん自身の『生きる価値』を再構築する

 

といったことに貢献することが、私の「天命」です。

 

今、病院に行っても良くならない病気・症状、あるいは人生の不安で「生きづらさ」を解消されたい方がいましたら、お気軽にお問い合わせください。

漢方鍼灸院 大阪市てんま吉祥堂